<aside> ☃️

1982年山形市生まれ

大学進学で宮城に出てきました。あっというまにここ宮城での生活のほうが長くなりました。あの頃、大学受験で出てきた仙台の街に、雪がないことには本当に驚いたものです。山形の町は雪深く、町のどこからも奥羽山脈の山並みが見えたものですが、仙台平野は元旦にも雪がなく、山も見えなかった。ちょっと落ち着かない気持ちでした。その点、この加美町はいいですね。雪は本当に大変ですが、山形の町に似ています。山がきれいで、空が広くて。

卒業したら山形に帰るのかなと漠然と思っていましたが、そのまま大学院にのこりました。そして結婚。大学病院のあと、市内の医院で勤務していましたが、そんな中で、中新田での開院のお話をいただきました。中新田といえば、妻の祖母の町。運命めいたものを感じて、開業を決意しました。とら舞を見学しに遊びに来た時、あの人並からみえたこの歯科医院で働くことになるとは、あの頃は夢にも思っていませんでした。

開院にあたって、中新田の町のことをいろいろと知る中で、驚くことがありました。町のパンフレットに書いてあったのです。「中新田には昔お城あり、その城主は斯波兼家といい、とら舞は斯波氏ゆかりのお祭り」と・・

私の母の実家は、山形の蔵王の山のふもとにあります。母の実家に伝わることには「むかし、むかし、いくさの多かった時代に、”もう身内同士で争うのは嫌だ”と、ご先祖がこの地にやってきた。」と。母の実家の姓は斯波といい、一族でずっと昔からその地に住んできました。母の実家はその本家で、子供のころ、家に伝わる武具や、家系図を見せてもらったものです。毎年のお墓参りは、何十基もお墓があるのでお参りするのが大変でした。叔父の代で絶えてしまい、無数のお墓も整理されていまったようで、寂しいかぎりですが、戦の時代に山形にやってきたご先祖に、ここでつながることができるとは思いませんでした。おそらく、室町時代に城が落ちた時、親戚関係である山形の最上家を頼っていったものではないでしょうか。

山形を離れ、仙台からも離れて、ここでご先祖の足跡に出会えるとは。導かれているような、応援されているような気持がしました。「中新田に帰ろう」とご先祖に言われているような気もしています。

がむしゃらに夜遅くまで仕事をしていた数年前、舌癌にかかりました。それまでも大学病院時代に、たくさん患者さんの治療をしていたので、患者さんの気持ちもわかっていたつもりでしたが、自分でかかってみると、本当に恐ろしいものです。心細い気持ち、不安な気持ち。ああ、患者さんは、こんなに苦しかったんだと、はじめて気づけた気がしました。運よく今は仕事復帰できましたが、この経験をもとに、今まで以上に寄り添った診療にあたりたいと思っています。

</aside>